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レジェンド葛西! [スポーツ]

8日から行われているソチでの冬季オリンピック。毎日の熱戦が繰り広げられていますね。
今日は、ジャンプラージヒルで、葛西紀明選手が、2位に入りました。銀メダルですよ。
すばらしいですね。41歳でのオリンピックメダリストって、本当に本当にすごいことです。

個人競技は、本当に自分との戦いと一本一本の集中力ともちろん運もありますが、体力的な
ピークは20代から比べれば、断然に落ちてくるわけですし、精神的にも高いモチベーションを
持ち続けることは、なかなかできるものではありません。

まだ、団体が残っています。今回のメンバーなら金も狙えます。どうか、伊東選手も清水選手も
竹内選手も頑張ってほしいものです。
しかし、今回のオリンピックは、厳しい結果が続いてました。

モーグルの上村選手の4位。あの沙羅ちゃんも4位。やっと、ノルディック複合の渡部選手が銀で
昨日、羽生選手が金、まだ、試合は後半戦がありますが、ぜひ、新たなヒーローの誕生を願って
います。

しかし、夜中の観戦は眠いよ。もう、朝だ。
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あけましておめでとうございます [未来に]

さっぱりブログを更新していませんでした。読んでもらっていた人には御免なさいです。
年も改まったので、この辺で昨年の反省と今年の抱負を書き込みましょう。

まずは、昨年の反省。

新規事業の介護タクシーがやっと開業できました。まだ、少々の手直しは必要ですが、
一応のスタートということで、若干のトラブルもありながら少しずつ仕事も増えています。
運転手さんの教育もこれからです。

デイサービスでは、かいじがかなり回復基調にあります。500人/月を達成して、今後はこれがベースになるものかと思います。一方。やさまざきは昨年度より6%の伸び率を達成しており、400人/月は確実なのではないか。トータルでは、900人/月はいけている。

訪問介護は、職員不足のため伸び率は低いが、これも前年並みの数字は確保できている。
150万/月の売り上げは達成。まだ、職員の配置が足りていないがヘルパーが来ない。
人員確保は、新期採用も視野に若い人を育てたい。それは、かいじも同じで後ほどまとめます。

ケアプランセンターは、順調に伸びている。売り上げだけで90万つまりは倍になっている。
人員的には、一人減らしても売り上げは確保されている。今の状態を続けることが大切である。人間関係で辞めて行った人もいるので、増員は慎重にならざるを得ない。

福祉用具貸与・販売は、横ばいで来年はてこ入れが必要と思われるが、12万くらいにはなっている。営業戦略を考慮中。ホームページなどWEBでの展開も可能と思う。また、物品の販売などは自主事業で開始できるし、ケータリングなど付帯事業も継続中。

全体的には、仕事は順調な兆しではあるが、職員の不足や増員後のトラブルなど、人事的には今後もいろいろあると思われる。また、昇給や組織体制の強化も含めて会社的に変更や変化が来年は予想される。今年は、結構人事的には失敗もあった。

特に、4月から沢山の入職者はあるものの、まともな人材は少ないと考えないといけない。まさに、最悪のスパイラルになりかねないので、厳しく対応したい。人事考課制度を本格導入する時期ですかね。

個人的な反省では、

昨年は、さまざまな失敗がありました。それもこれも、自分が至らないのだけれど、傷害事件はいけなかった。一応、示談にはなったけれど、来年はそんなことがないようにしたい。感情の起伏をコントロールすることが大切だね。

「未だ、木鶏たりえず」ですかね。欲がありすぎたのかな?

今年の抱負としては、自分の周りの人、すべて幸せにしたいと考えています。
まあ、独りよがりにはなってしまうので、他人がどう思うかは、本当はわかりません。
しかし、家族も親戚も職場の人たちも、笑顔が絶えず喜んで生きてい行くように関わり
自分も楽しく生きていくようにしたいですね。

仕事は、先にも書いたのだけれど、順調ですが、来年の介護保険法の改定ではどうなるか?
要支援の人たちが切り離されたら、経営的にもダメージはあることだろうし、できるだけ早く障害関係の柱を打ち立てる準備をしないといけない。

また、宿泊機能のある施設の運営も開始しなければならない。高齢者専用のアパートというか、本当はどんな方にも利用していただけるグループホーム的なものですかね。

なかなか、新規事業は難しいのだけれど、前に向かってやっていくしかない。しかし、宿泊施設も障害関係もはじめたら最後までやめられない。しかも、最後は私は見届けられないくらいの時間でしょうね。次代の経営者も育てなければならない。

今年もやることは山ほどあるようです。
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取手競輪場 [未来に]

2013.03.11 そこもかなりの被害が出た。メインスタンドガラスはすべて
粉々に落ち、バンクも亀裂が入った。震災後は被災者の受け入れもしていた
ので、昨年の夏に再開していたが、先の21日にメインスタンドが完成した。

京都向日町開設63周年記念GⅢの3日目を場外発売しスタンドも無料開放
すると云うので、久々に出かけてみた。
リニューアルされたスタンドは、簡素ではあるがきれいになっていた。

ついこの前まで、瓦礫もあった場所とは思えない。正面3列目に陣取り、
3レースは締め切られていたが、出掛けにPCで買ってあったのが的中。
4レースから参戦。

4.5.6.9.10レースが的中で、結局、自宅での投票を入れると11レース中7レース
的中で、合計は手持ちの金額の倍にはなった。
大体は、ビギナーズラックのある人なので、こんなもんでしょ。

ニコニコで帰ってきた。
赤競は9レース当たっていた。つまりは固い競輪だった。
明日は、最終日でPCで参加だ。
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もうお彼岸でした [家族]

平成15年4月25日が、実の父の命日です。もう10年にもなるのですね。
私が生まれてすぐに、両親は協議離婚。当時では、非常に珍しくまず
近所で同じ境遇の人はいませんでした。

ただ、太平洋戦争での片親の家は、結構ありました。病気で親を亡くしたり
事故でそうなるケースはありました。しかし、離婚となると周囲の目は違い
大人達にも偏見といわれなきいじめを感じることもありました。

それから、44年ですよ。一度も生きている父親の姿も声も聞いたこともなく、
悪いうわさばかり耳に入れられ育ち、己が父親になれないと分かったころとも
相俟って、とても複雑な気持ちでした。訃報を聞かされたときには。

父親は隣の隣の町に住んでいたことは分かっていました。町の担当の方から
生活保護を受けていたので、その後処理があると電話があって次兄と町役場
をたずねました。

当時、私は介護関係の施設で働き、兄は広域の消防署で働いていました。
担当の方は、片親でも立派に育つんだ、こんなドラマのようなこともあるんだ
と感心されていました。

当時の社会情勢からして、やくざな社会に住んでいてもおかしくない環境でしたから
先に書いたように、偏見と嫌がらせの中で生活していましたから。
しかし、祖父や祖母の働きや母の頑張る姿をみて育ちましたから、少しはやさしい
心を持って大人になれたように思います。

感謝感謝のお彼岸でした。それでも、今日はまだけっこう暑かった。
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盆帰り [家族]

1976年 中村 雅俊さんがリリースした名曲です。
この季節、思い出します。作詞・作曲は小椋 径さん。
高校生には、少し難しかった。

昭和54年 僕は二十歳になっていた。3年前に流行ったこの曲
が、胸に迫った夏。ベッドに横たわっていた。
この年は、夏に交通事故。冬に虫垂炎。死にかけた。

よほど、あちらの世にはまだ呼ばれないのか、生きて生還。
翌年の春には、田舎で車の教習所に通った。
夏の盆には、やはり、この歌を思い出した。

大学3年の単位は、そんなんでほとんど取れずに、1科目4単位のみ
取得。それでも4年生になれた。奇跡的だった。
取りきれないほどの履修届けを出したのは、次の年の4月。

本当は、友達と行くはずだったアメリカ留学病気でいけなくなり、
ぎりぎりの生活での120単位以上の取得は本当に大変でした。
教育実習を残しての卒業で、秋に本当に教壇に立った時は、
「レッツ ビギン」どころじゃなかった。

あれこれと、纏めて思い出す夏の夜です。
今年は、特に暑くてついに、この部屋にもクーラーが入りました。
しかし、ブログ更新はなかなかできなくて、家内に尻を叩かれての
今日の更新。やっぱり、暑いよ。
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